★目次★
こんにちは、Pick-Up!アフリカです!(^^)
今回は、ナイル川を渡りアフリカを命懸けで旅したカメラマンの平早勉さんのアフリカでの旅行記をご紹介します。
1、経歴
まずは平早さんについて簡単なご紹介をさせていただきます。
名前 平早勉 年齢 77歳 今まで渡航した国 80か国以上
〜ざっくりとした経歴〜
20代
・夜学(中央大学第二商学部)に通う傍ら、在日インド大使館で職員として働く。
・当時採用倍率が数十倍あった、阪急交通社という旅行代理店に就職するなど他。
1979年4月〜
・脱サラしてカメラを持ち、4年半の間、海外を50カ国以上まわる。
1986年〜
・マルコス独裁政権が倒された革命(フィリピン2月革命)時にマラカニアン宮殿(大統領府)にカメラマンとして世界初に入る。
1985年〜
・毎日小学生新聞などの連載を持ち始める。

↑平早さん紹介の新聞記事

↑平早さんが持っていた新聞の連載コーナー
⭐️フィリピン2月革命⭐️ ピープルパワー革命、またはフィリピン2月革命と呼ばれる。1986年、開発独裁を推し進めていたマルコス政権(その妻イメルダ)に対し、民衆が蜂起し民主化を実現した革命のこと。
ここからはインタビュー形式を交えながら進めて行きます!




2、アフリカ旅行のルート
こちらは平早さんのアフリカの旅行ルート。「飛行機が一番高いんだから( ˊᵕˋ ; )」と、なんと当時安価で移動が早かった船を使ってナイル川を上る選択をした平早さん。一体どんな旅になるのか。

アテネ → エジプト → スーダン →ケニア → ウガンダ → ルワンダ →ブルンジ → ソマリア(日本人二人目に上陸)→ ケニア → マダガスカル → モーリシャス →シェーシェル→ ケニア → エチオピア → イギリスロンドンへ
※当時の地図
3、死と隣り合わせ!?水はナイル川の水を飲む!!ナイル川を船で渡る壮絶な旅とは
ヨーロッパを旅していた平早さんはアフリカに向かうためギリシャのアテネを出発。エジプトに飛んだ。✈️エジプトのカイロからアスワンハイダムまで列車で移動。🚃(カイロではスーダンとケニアのビザを取得。)ちなみに当時ケニア大使館はなく、代わりにイスラエル大使館が代行していたそう。アスワンからスーダンまで30人から40人規模の船で国境を渡り、そこから数十分歩き鉄道駅に移動。列車に乗ってハルツームへ。40時間かけヌビア砂漠を突っ切っていく!

アテネから一緒だった日本人と、もう一人のハルツームから一緒だった日本人、日本人はその三人。三人で共に行動するようになったのはいいが、ハルツーム南の船の出港場で、三人一緒に船を逃してしまう。船着場に行ったら船が出たばっかり。次の出港は来週の予定と言われる。( ˙˙ ; )


無事に船に追いついた平早さん。南部スーダンの大都市ジュバまで船で移動する。乾季は船は走れないが、雨季は蒸気船に乗って船(スティーマー)を走ることができる。約2週間かけ、旅をした。

⭐️赤チンとは⭐️ 毒性の低い有機水銀で、消毒薬として使われてきたが平成29年の水俣条約により水銀が使えなくなったため、現在まで販売中止となっている。








↑集落で出会った子供達

↑平早さんのパスポート
4、マダガスカル
マダガスカルに行った際には一人で支援活動を行っている日本人修道女に出会ったという。

このシスターの話を元に、現地を取材した作家の曽野綾子さんが書いた小説が『時の止まった赤ん坊』。


⭐️毎日グラフとは⭐️ 1947年から毎日新聞社が創刊した総合写真報道誌。
初めて行ったマダガスカルでマラリアにかかった平早さんだが、それでも再度取材のためマダガスカルに行っている。

マダガスカルでは大きな格差もみたという平早さん。

5、最後に


