★目次★
こんにちは、Pick-Up!アフリカです!☺️
今回は、私がルワンダに渡航した際に大きな衝撃を受けた「ルワンダの教会」の様子をご紹介します!最後までお読みいただければ幸いです。
去年の夏、「日曜礼拝がある」ということでルワンダの教会にお邪魔しました。私自身はクリスチャンではないのですが、祖母がクリスチャンということもあり、幼い頃から日本の教会に足を運ぶ機会は多かったです。
なので、ルワンダの教会にも日本の教会のイメージを勝手に重ね合わせ、同じような雰囲気なのだろうと予期していました。しかし、実際にルワンダの教会を訪れてみて、日本とのギャップにかなり衝撃を受けました……!🫢
一体、何がそんなに違うのでしょうか? 実際の経験を元に紹介していきます!
まずは、ルワンダ国内での宗教の割合を調べて表にまとめてみました。
ルワンダの宗教割合(2026年度、参考値)

参考:World Population Review – Rwanda Religion
(ここで示すプロテスタントは、「英国国教会、バプテスト派、メソジスト派、聖公会、福音派キリスト教会、ペンテコステ派、セブンスデー・アドベンチスト」など。)
データを見ても、プロテスタントが半数以上を占めていることがわかりますね!今回は、このルワンダで主流となっているプロテスタントの教会を訪れました。
衝撃の体験談:ここって、ライブ会場ですか?
今回、私を含めた数人の日本人と、付き添ってくれたルワンダ人の学生3人と共に教会へ向かいました。
目的地に到着して、一番に思ったことは、
「え、ここって本当に教会!? ライブ会場と間違えてない!?」 でした。
教会の前には大勢の人たちが集まっていて、その賑わいはお祭りのよう。そして、建物の外にいても、中から流れる音楽がはっきりと聞こえる様子は、まさにライブ会場そのものです。私がこれまで抱いていた「静かで厳かな教会」のイメージを覆す入り口に、胸のドキドキと興奮が抑えられませんでした。

↑教会前の様子
実際に中に入ってみると、改めてその大音量にびっくり!
牧師さんを中心に、スピーカーから流れる大音量の音楽に合わせて皆で歌を歌っていたのですが、その場にいる全員が作り出す音楽には、教会全体を包み込むような凄まじい一体感があり、本当に感動しました。
現地の方々も、突然やってきた私たちをニコニコしながら温かく受け入れてくれました。
熱のこもった圧巻の説教と、温かい「褒め合い」の時間
歌が一段落つくと、いよいよ牧師さんの※説教の時間が始まります。
ルワンダの学生に少しずつ翻訳してもらいながら耳を傾けたのですが、驚いたのはその圧倒的な語り口調。
まるで政治家の熱い演説のようにエネルギーに満ちあふれており、言葉の一つひとつに魂がこもっていました。何かを強く訴えかけ、心に直接語りかけてくるような、まさに「魂の叫び」という表現がぴったりな時間でした。
説教の後に始まったのは、「村で良いことをした人をみんなで称え合う時間」。
名前を呼ばれた数人が前に立つと、牧師さんが「この人はテストで良い点を取りました!」などと発表します。すると、周囲からは「イェーイ!」と大歓声が上がります。
「何か良いことがあったのは神様のおかげだ」と感謝しつつ、みんなで村の仲間を褒め合う様子は、本当に温かい空間でした。
そして、節目節目で再び始まる「歌」の時間。牧師さんがマイクを持って歌い出すのですが、とにかく歌が上手すぎる……!😳
最後まで、まるで本物のライブに来ているかのような感覚が続きました。
※説教とは 💡説教(せっきょう)とは、キリスト教において、牧師や伝道者が聖書の言葉や教義を会衆に向けて口頭で説き明かすことを指します。特にプロテスタント教会においては、礼拝の最も中心的な要素(布教・信仰指導の方法)の一つとされています。多くの教会では、毎週の日曜礼拝(主日礼拝)の中で牧師による聖書の解説とメッセージ(説教)が行われます。
突然始まる、まさかの「競り(オークション)」!?
ひとしきり盛り上がって落ち着いてきた頃、今度はなんと「競り(オークション)」が始まりました!
おそらく、お布施や募金の代わりなのだと思います。
一人の人が野菜や果物をみんなに見えるように大きく掲げると、参加者たちが思い思いに声を上げて値段を競り上げていきます。
なんと、生きている鶏まで競りにかけられていたのには本当に驚きました!🫢

↑突然始まった鶏の「競り」
現地の人々にとっての「教会」の意義
日本は特定の信仰を持っていない人が半数以上を占めるため、規模に差が出るのは当然かもしれませんが、それにしてもルワンダの教会の参加者の多さには圧倒されました。
村のほとんど全員が参加しているのではないかと思うほどの規模で、まさに地域を挙げた大祭りのようでした。
小さな子どもたちは外でのびのびと遊び、大人は中で説教を聞いている。外の様子はまるで幼稚園の園庭のようで、とても微笑ましい光景でした。「こういう環境があれば、子育てもしやすいだろうな」と感じました。
みんなで集まって近況を話し合い、神に感謝を捧げる――。この教会のコミュニティは、間違いなく彼らが生きる上での大きな支えになっています。
ルワンダには、1994年に起きた※トゥチに対するジェノサイド(ルワンダ虐殺)の記憶がまだ鮮明に残っている人がたくさんいます。
お話を伺う機会があった一人の女性は、当時、この悲劇を生き抜いた方で、このように語ってくれました。
「信仰が私を助けてくれた。一度は生きる希望を失ってしまったけれど、信仰があったからこそ、こうして今を生きていくことができている」
過去に言葉にできないほどの壮絶な経験をし、今もなおその苦しみや葛藤と共に生きているルワンダの人々にとって、「信仰」とは大きな救いであり、明日へ向かう「生きる希望」そのものなのかもしれません。
私が教会で肌で感じたあの熱気は、まさに彼らの「生きるパワー」が溢れ出たものだったのだと気づかされました。

↑教会の外に居た子どもたちの様子
※ルワンダ虐殺の名称について 1994年のルワンダにおける大量虐殺は、日本では「ルワンダ虐殺」と呼ばれることが一般的です。一方でルワンダ側の名称変更による決議案によって、国連は2018年、追悼の国際デーの名称を「1994年のルワンダにおけるトゥチに対するジェノサイドを考える国際デー」とする決議を採択しています(参考)。
終わりに
ルワンダの教会を訪れてみて、アフリカの素晴らしさはやはりこの「圧倒的なコミュニティの力」にあると強く実感しました。
当たり前ですが、人間は一人では生きていけません。人生で本当に大切なことは、やはり「人と人との繋がり」の中にあります。「支え合ってみんなで生きる」ことを体現し、繋がりを何よりも大切にするルワンダの教会の姿は、現代の私たちが忘れかけている大切なことを思い出させてくれる、そんな素敵な場所でした。

